解説 交遊と閑居

 ・・・そのような、世の中のどこにでもいる人間同士が、互いに親しくなるということが意外に少ないのが現実で、学生は学生同士、会社員は会社員同士、商店主は商店主同士のつきあいが一つの枠になって、その人の人生を型に嵌(は)めてしまう。吉田が『交遊録』の中で、「人間であるといふことは誰とでも、或は少なくともどういう仕事をしてゐる人間とでも付き合へることを意味し、それならば友達にもその職業の上での制限がある訳がない」と述べていることは、『東京の昔』の世界と一直線に繋がっている。ちなみに『交遊録』は、『東京の昔』の刊行とちょうど同じ年の同じ三月に出た本で、祖父牧野伸顕(まきののぶあき)と父吉田茂を両端に置いて、英国留学で出会った人々や、帰国後に親しくなった文士たち、灘の酒造りの名人など、多彩な友達のことを書いている。文芸誌への連載は『交遊録』の方が一年近く早い出発だったが、その最後の二回は、『東京の昔』の連載の、最初の二回と時期が重なっている。
 ところで帝大の森を借景に、町中に住んでこれといった職にもつかず、しかも人生に窮することのない主人公の生き方は、「閑居」の一言に尽きよう。『東京の昔』は、交遊記であると同時に、閑居記でもある。湯豆腐とおでんの冬、風が吹いて埃が立つ春、若菜青葉が目に燃え立ち、雨が続いて泥道の電信柱に自転車が立てかけてある夏…。
 しかしこう書いてくれば、実際はこれらのことが現代のわたしたちの周囲から消え去ったわけではないことに気づく。作品の舞台になっているのは一九三〇年代、言い換えれば昭和一桁(ひとけた)から十年代半ば頃までという時代である。戦争の危機をしのばせながらも、明治以来の近代日本が、ひとつの成熟期を迎えて小休止しているような、かつてない時代の相貌を描いているところに、この本の真骨頂がある。けれども『東京の昔』は、過ぎ去ってしまった戦前の情景や人情を、吉田健一が懐古しているだけの小説ではない。今という時間をどう生きるかという理想を、問題にしているのである。この本からいつまでも古びることのない新鮮な感じを受けるのは、普段わたしたちが、ややもすれば季節の移ろいや天候の変化を気にも留めず、毎日を齷齪(あくせく)送りがちだったと思い出させてくれるからだろう。
 閑居とは、何もすることがなくて、ぶらぶらしている状態を意味するのではない。今を生きる喜びと楽しみを、実感しながら生きることが閑居であって、この生き方こそは、いつの時代にも、人が憧れつつ、なかなか実現できない生き方だった。それでも、今を生きる喜びと楽しみは、自由な読書人である兼好が書いた『徒然草』にも、太閤秀吉の甥で関ヶ原の合戦後、東山に隠遁した木下長嘯子(ちょうしょうし)の風雅な住居記にも、モーツァルトと同じ十八世紀半ば生れの太田南畝(おおたなんぽ)の文業にも、途絶えることなく続いて、近代を迎える。・・・

島内裕子「解説 日本的な文明批評の到達点」(ちくま学芸文庫『東京の昔』・2011年1月10日 第1刷)より