2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

秋葉原で一冊

ブックオフで、桑原武夫「第二芸術」(昭和63年12刷 講談社学術文庫昭和51年刊)。表題の論文「第二芸術 現代俳句について」は昭和21年著者42歳のとき「世界」11月号に発表したもの。

アキバのカミサマ 神田の神様

四谷の事務所で書類を受け取ってから秋葉原へ。きのうオープンのAKB48カフェ&ショップを見物。ガンダムカフェと並ぶ。うかつにも駅前とは思ってなかった。かつてホコ天殺傷事件の前にUDXビルにエコール辻のカフェができて行ったことがある。その頃…

李白で生ビール 舟町で生ジャズ

美容室と古本屋のあとは渋谷川の酒場へ。店主が腰を痛めたと聞き心配する。カウンターで小一時間おしゃべり。生ビール2杯。副都心線を新宿三丁目で乗り換えて丸ノ内線で四谷三丁目。ライブハウスでジャズカルテットを聴く。天才肌のギタリストと息の合った…

渋谷で2冊と炭酸泉

いきつけのヘアサロンが仏語のセンチュリーという名にかえた。といってもレイアウトなど変化なし。オプションで頼んだ炭酸泉の洗髪がよい。毛穴まで洗えて血行も良くなり頭はスッキリ柔らか。古書センターで、大岡昇平「天誅組」(1992年 講談社学芸文庫…

神保町で3冊

最初に見つけたのは、安東次男「芭蕉 その詞と心の文学」(1972年2刷 筑摩書房 函少汚)、つぎに尾形仂編「芭蕉必携」(1980年 別冊國文學NO.8 赤線)、さらに川村二郎「感覚の鏡 吉行淳之介論」(1979年 講談社 美本)。別々の店で。その後池…

隣の農家の柿の木が

ゴミだしに部屋を出たら、通路からみえる隣の農家の敷地にある、幾本かの柿の木の実が黄色くなっているのに気が付いた。まだ赤くはない。しかし確かに色づいている。起きたときは流れが滞って首が苦しいくらいだが、朝食をとると背中一帯がじわり汗ばむ。あ…

谷保の村祭り

天気よし。谷保天満宮の例大祭。1基100キロあるという万灯を先導にした行列が、神社についた頃に間に合う。神楽殿の前にしつらえられた土俵にあがって前座では小学生2人の棒まわし。2年生と6年生の二組み。獅子頭3人天狗面1人の獅子舞いは村上天皇…

ある秋の晴れた休日

日があたって葉が輝いている。風にふかれて枝がしなっている。林の中の桜とおぼしき樹にはまるで実のように赤い葉が交じっている。そういえば蝉の声が消えている。聞こえてくえるのは小鳥のさえずりと静かな風のそよぎ。様々な色形のきらめく葉たちがゆった…

萩原朔太郎50歳

この秋は何で年よる雲に鳥 老の近づくことは悲しみである。だが老年にはまた、老年の幽玄な心境がある。老いて宇宙の神韻と化し、縹渺の詩境に遊ぶこともまた楽しみである。空には白い雲が浮び、鳥は高く飛んでいるけれども、時間は流れて人を待たず、自分は…

高木神社

雲行きが怪しいけれども歩いて東大和のSSまで行くことにする。村山貯水池の堤体のうえを進む頃には風が強まり雨雲が近づく。狭山神社はイザナギイザナミを祀る。近くの不動尊のほうが立派。塩釜神社は山裾の川の合流点近く。安産の守り神とある塩釜神社分…

氷解

台風一過の秋晴れ。すこし暑いが気持ちがいい。そしてこのタイミングで長いあいだ苦労してほぐしてきた背中のかたい部分に変化が現れた。まるで南氷洋の分厚い氷が解けて動きだすような感じ。いよいよ本当の最終局面。ばりばり音がして解れると息ができてリ…

もう台風が通過した

7時には宇都宮あたりだそうだ。秩父あたりを通過して行ったらしい。暴風は2時間ほどでやむ。いまは静かに虫の音を聴きながら焼酎の水割り。紅じゃけの残り。冬瓜は半分シンプルに煮た。

暴風圏に入る

カーテンを開けて外を見ていたがあまりの激しい風にベランダの手すりが揺れていたりと不安で閉める。サッシに圧力がかかりもの凄い音だ。高台の立木は全て枝を振り乱し荒れ狂っている。

強い台風が加速中

遠くから雨が近づいてくる。次第に強くなる雨音。しばらくすると音は弱まってくる。雨は遠ざかる。しかしまた近づいてくる雨がある。それが何度も何度も繰り返す。雨は収まるのかあるいはもっとひどくなるのか。いずれ良くなるのは分かっていながらそれがい…

おでんを食す

スーパーで買ってあったパック入りのおでんを温めてたべる。きょうは急激に気温が下がった。名古屋で大勢の避難勧告がでている台風が近づきつつあるのだが雨もやんで風もない。秋の虫が静かに鳴いている。いも焼酎もお湯割りにする。他には紅じゃけと豆腐に…

冬瓜を食す

おととい買ったミニ冬瓜を半分つかって夏の疲れをいやす料理。ずいぶん前にやってその滋味に感動した舌の記憶が残る。しかしレシピが思い出せない。料理本を三冊抜いてきて、まあ、ブリ大根の要領だなと確認。スーパーで解凍ホタテの貝柱を買う。胸が高鳴る…

川村二郎69歳

教育論議に立ち入るつもりは今はない。しかしかりに記憶力より思考力が大事だとしても、何も知らなければ、考えることもできないのである。そしてまた、わけも分らずただおぼえていた言葉の意味が、後になって初めて分った時、最初から嚙んで含めるように教…

矢作俊彦53歳

「ああ、そうだ。あの花火、どうもありがとね」と、少女は言った。 思い出すまで、少し時間がかかった。 「あれね。うちに帰ってすぐやったの」 「朝だったじゃないか」 「そうだよ。お風呂場で電気消して。もう煙ったくて死にそうになっちゃった。でも、あ…

幸田露伴60歳

紹巴は時々この公を訪うた。或時参って、紹巴が「近頃何を御覧なされまする」と問うた。すると、公は他に言葉もなくて徐(おもむ)ろに「源氏」とただ一言。紹巴がまた「めでたき歌書は何でござりましょうか」と問うた。答えは簡単だった。「源氏」。それき…

大岡昇平56歳

この人物が直ちに怨霊として土俗信仰と結びついたのは、多くの英雄と共通している。アキレウスもまたその廟を持っていた(ついでにいえば、将軍塚と同じく、その肢体の一部しか葬られていないこと、あるいは全く埋葬の主体を欠くのも、多くの英雄の廟に共通…

狭山の虹 国立の宴

体調と天候を考え母校の体育祭はパスした。夕方にわか雨のなかを歩いて駅に向かう。雲の切れ間から西日がまぶしく東の空に完全な虹が見えた。多摩湖線は直通で国分寺まで。時間が少しあるので南口の古本屋。大岡昇平「将門記」の中公文庫版を購入して北口の…

村山公園駅

さらにネットで調べると村山貯水池駅と村山貯水池前駅はできたときは経営母体が違った。西所沢から伸びている武蔵野鉄道の村山公園駅が1929年で一番早かった。もっと多摩湖畔に近く村山貯水池際駅というときもある。武蔵大和にあった村山貯水池駅は多摩…

武蔵大和駅

ネットで調べてわかってきた。武蔵大和駅という名前ができたのは1936年。それまで八坂寄りの位置にあった村山貯水池駅が移って名前を「武蔵大和」とした。このとき終着駅だった「村山貯水池」の駅名はいまの「西武遊園地」駅に譲ったが、その駅舎の位置…

田園都市から学園都市へ

『目白文化村』を久しぶりに読み返した。堤康次郎は早稲田の学生時代から落合村に下宿していて、軽井沢や箱根のリゾート開発の一方で、地元有力者の協力を得てこの山手の田園都市を開発し始める。落合村だが最寄駅が目白、はじめは不動谷に沿っていたので「…

今月中には良くなるかも

ようやく肩が付け根からまわり首が根元からのばすことができるようになった。毎日少しずつ部分的に硬く詰まったところをほぐし、翌朝はまたもどったようでももう一度動かすと反応は良くなっている。身体が本来は柔らかいものだという感じがもどる。背中を動…

吉祥寺で一冊

西東京市の会社で社内研修の打ち合わせのあとバスで武蔵境に。昼食には少し早かったので本社に行く前に吉祥寺の古本屋めぐり。ブックオフが移動してユザワヤの建物が取り壊されていた。駅近くのいつもはパッとしない古い店で珍しく掘り出し物。「中世芸道論…

荒幡富士

住宅街の水路をたどり森が見えてきたので向きを確かめつつゴルフ場の脇の道をのぼりはじめる。手書きの9・11スズメバチ活動中なる表示が木の枝に吊るしてあり戻る。細い道のルートも登り始めると印刷された注意表示でまっすぐ湿った谷をいくと頭上注意と…

所信表明演説全文 

【1、はじめに】 第178回国会の開会に当たり、東日本大震災、そしてその後も相次いだ集中豪雨や台風の災害によって亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。また、被害に遭われ、不自由な暮らしを余儀なくされている被災者の方々に、改めてお見舞いを申…

国高祭の日には

とても暑かった。同窓会のメンバーでクラス演劇を手分けしてみるために朝早く7時に母校校門前に集合。第一回公演整理券の配布で29年下クラスの7組をえらぶ。9時の開場まで元大手百貨店のバイヤーで現在は住職の副幹事長と母方の八王子の病院の話などを…

下北沢で六冊

四ツ谷の会議が副社長の出張でなかったので下北沢古本屋めぐり。南口坂下の古い店の軒先に土屋文明「萬葉集入門」(ちくま文庫)、店内で尾形仂「松尾芭蕉」(ちくま文庫)と「列仙伝・神仙伝」(平凡社ライブラリー)の三冊。日高屋でタンメンを食べたあと…