萩原朔太郎50歳

   この秋は何で年よる雲に鳥

 老の近づくことは悲しみである。だが老年にはまた、老年の幽玄な心境がある。老いて宇宙の神韻と化し、縹渺の詩境に遊ぶこともまた楽しみである。空には白い雲が浮び、鳥は高く飛んでいるけれども、時間は流れて人を待たず、自分は次第に老いるばかりになってしまったという詠嘆である。「何で年よる」という言葉の響に、如何にも力なく投げ出してしまったような嘆息があり、老を悲しむ情が切々と迫っている。それを受けて「雲に鳥」は、前のフレーズと聯絡がなく、唐突にして奇想天外の着想であるが、そのため気分が一転して、詩情が実感的陰鬱でなく、よく詩美の幽玄なハーモニイを構成している。こうした複雑で深遠な感情を、僅か十七文字で表現し得る文学は、世界にただ日本の俳句しかない。これは翻訳することも不可能だし、説明することも不可能である。ただ僕らの日本人が日本の文字で直接に読み、日本語の発音で朗吟し、日本の伝統で味覚する外に仕方ないのだ。

(昭和11年「郷愁の詩人 与謝蕪村」附録「芭蕉私見」より)