勝楽寺の名

山口村のお隣の勝楽寺村はすべて狭山湖の底にある。たぶんその名のお寺があったのだろう。近くでは高麗神社に並んである聖天院に同じ名が見える。高麗王若光の菩提寺だが僧侶勝楽の名から来ている。なんと天平時代にできた由緒のはっきりした寺院である。高麗神社は若光の信仰した猿田彦命あるいは白髭明神の神社で、やがて当然に若光本人をも合祀したもの。

高麗は後に起こった朝鮮半島高句麗ではなく、668年唐と新羅の連合軍に滅ぼされた約700年続いた大陸の強国だという。明末清初と同じように大陸の戦乱で亡命者が多数この島国に訪れた。王族の若光もその一人。当時の大和政権は東国の1799人を集め高麗郡という特別な郡を設置した。入間郡郡衙は同じ。だからこの地名との関係は深いはずであろう。

延喜式の物部天神社や出雲祝神社あるいは氷川神社など、東国特有の神様が祀られるのは歴史的にこの地に移り住むことになった人々を類推させるし、国分寺の創建より前に仏教は確実にこの地に知られていた。勝楽の字も聖徳太子が評釈したと伝わる勝鬘経を思わせる。

検索すると各地に同名の寺はいろいろあるようだが、滋賀の甲良町には、なんと佐々木道誉が建立した勝楽寺があった。足利尊氏とともに室町幕府を創建した注目のばさら大名である。41歳からなくなる78歳まで隠棲しているとあり興味が深まる。狭山湖の勝楽寺には保安林の一帯のなかに東京都水道局の貯水池管理事務所が建つのみであるが。