渋谷公園通りと国立大学通り

渋谷では坂道、国立では直線。増田通二は宇田川の反対がわで渋谷の古い繁華街である道玄坂に対してもうひとつの坂道を「公園通り」と名付け「パルコ」をつくった。道玄坂にある「百軒店」を開発したのが師匠の堤康次郎。大正の震災直後のことである。国立では同じころ「谷保天」のある古い土地に向かって軸となる直線を引いた。「大学通り」であって「一橋」とは入らなかった。