国立の月

昨年の11月は更科の月。大人の国高祭の晩に訪れた。年頃同じ芭蕉中秋の名月のために訪れて俳文をつづった。30年前の夏は甲子園。この年わたしは入学したばかりの15歳。それから夢のような三年間を過ごす。83年に多摩を離れ、都会に憧れ渋谷でそれなりに仕事をし、でも多摩に戻ろうとした97年。その折り返しから今年は同じ14年がたつ。国立の街は大学通りが中心だ。その道を国立駅から毎日かよった母校。この先には谷保天満宮あるいは天神島があって、帰りはその古代からの神域を背にして戻ってきたのだった。いま国高祭はクラス演劇がさかんと聞き驚く。体育祭の応援パフォーマンスも素晴らしいという。今月はそれらを見に行くつもり。ずっと前のめりで生きてきたが、大切なものは後ろにあった。国之常立の神さまは通りの並木におわします。土地に根差して仕事をし夕べは地元で飲む。また国立をかよう生活がしてみたい。