もの語りとモノ作り

きのうドムカで話していたこと。例によって仏像は仏教ではなく日本特有の信仰によるものだと。上野の東京国立博物館法隆寺館のずらりと並んだ小さな持仏はフィギアである。それは「物語」とか「物の怪」というときの「もの」である。アニメというのはその基底の心性につながる。

そして西洋であれば機能的な存在である「物体」もその延長でフェティシュを生む。ケータイなど身近なモノ。モノ作りはそういうわけで暴走することがある。本来の役割と関係なく。巨大化だ。鎌倉の大仏に戦艦ヤマトにお台場のガンダム。商品ではなくこの「もの・モノ」が大事なのだ。

出版業界は行き詰まっている。「読者」なんて本来はいない。心を満たしてくれるものが溶け込んだモノであればいい。だからTシャツとかポシェットとかを神社の境内で売る。神社はそんな交流の場なのだ昔から。ん、じゃあ「こと・コト」はどうなんだろう。事柄にして言葉ということ。