しがらきへの道

著者の安東次男、流火草堂の署名入り「日本やきもの旅行Ⅰ」の最初の文章を読んだら、信楽焼の由来は、紫香楽宮の瓦ではなく「地勢」にありと、聖武天皇、良弁、行基の登場する、見事な考証が繰り広げられていた。大和政権から禁止令がでた山岳仏教や民衆への布教など、修験道東大寺の前史が語られる。古くは勅撰和歌集を探り、しがらきの外山という歌枕が万葉ではなく中世に出現する事に注意を喚起し、鎌倉時代「うずくまる」の文様に宗教的な意味を見出す。歴史家も国文学者もそして古美術商にも書きえない「信楽」をめぐる素敵な文章。シガラキは繁木ともいわれるとか、茶どころの宇治は隣であるとかも、さりげなく触れてあったりして、まさに信楽への細道を歩いているのである。ちくま学芸文庫「古美術の目」にも再録されていた。