三山の調和史観

池辺三山の文章はとても面白い。大久保論は文と武の対比つまり裏に西郷論を併せ持っており、漱石によって西郷に重ねられた三山は、西南の役で刑されて亡くなった父とともに対立を超えた第三の位置にいる。岩倉論は明治維新を薩摩と長州の対立を軸に描き公卿岩倉がいかにそのバランスオブパワーを利用し調和に尽くしたかを語る。いわゆる「三事策」のなか薩長の主張の真ん中に五大老の設置をいれたことに三山の好みもある。西郷同様に失脚したことは5年4か月と具体的に書いている。伊藤論では藩閥政府の戦争のきっかけのお粗末さがいわれ、大概は内治と外征の間を行く日本政治の特質を強調する。後半では政党政治が主眼。軍備と財政を調和できなかった伊藤が、元老院に続き政友会総裁としておさまるところ。三山が論述する対立と別の第三項は、たとえば人望も少なく名利を欲したよろしくない人物の伊藤が憲法などの制度論者である指摘にも表れる。大久保同様武士の出自でないとか。こういう政治の見方が大切だ。