爆音プログレナイト

渋谷の李白でビールを中小一杯ずつ飲んでバスに乗って西麻布の新世界に向かう。業界のお歴々のセンパイたちに学割かとおぼしき若者の男女が集まりほぼ満席。露払いのピンクフロイドにはじまり時間を気にしてゲストを一人残してキングクリムゾンまで。白ワイン一杯で至福の時を過ごす。部室の爆音リスニングルームに音源を持ってきたセンパイがたは口々に「プログレ」は聴いてなかったという。それにプログレッシブロックというのは和製英語らしい。演劇界の「アングラ」といったらぴったりかも。寺山修司とか唐十郎とか。スネークマンショウは「パンクとニューウェーブはゼンゼン違うんだよ!」と言っていた。確かにプログレというよりも様々な「実験音楽」がひしめき合っていたのが70年から80年初頭なのだろう。クラフトワークもテクノではなかった。トーキングヘッズがカンに似ているのも、70年の日本にもほとんどEL&Pという音があったのも、四半世紀前の孤独な社会人一年生がセンパイたちから伝授されていたなら、と残念に思った。でも有名DJたちがザッパやノイといったプログレの周辺のLPをミックスする贅沢は普通のクラブではありえない。これはまさしく部活部屋なのだ。大学では友達がいたので小劇場にはまり、社会人ではそれもなくてCDでヨーロッパのアングラ音楽を孤独に聴き、けっきょく吉田健一や太田南畝へとディープな日本文学の道を遡るわけだが、小劇場はロックに置きかえるとパンクやニューウェーブだったのだと今は納得。シモキタあたりの群小劇団がパンクで野田秀樹ニューウェーブといっても良いかも。高三の頃に戻りたいと初めて思った。また爆音プログレが聴きたいな。