思想好き

西欧ではルソーとかマルクスとかニーチェとかフロイトとか独特の味のある思想家が生まれそれなりに社会を動かすことになる。でも、思想はニホンゴでいうと「物思い」であり、勧められた態度ではない。考えるのと思うのは明晰さに関してずいぶん違う。思考はまあ論理的だが思想は情緒的だ。意志より意思なら感情的次元に留まる。「物思いにふける」のはどこか物語に淫するのに似ている。すぎると「物狂おしい」状態に。現に映画の見すぎやゲームのやりすぎは過度の情緒的刺戟で身体を痛める。小説とは薬物の一種かもしれない。物凄く泣けるとか。つまり思想好きは物の怪に取りつかれた人のことであって、日本では仏教の領域に多く誕生した。近代だと哲学の周辺。彼らは物音と同じ物事を好む。物質というか物々しい存在に心ひかれるからだ。もちろんそれは真実ではなく言葉の作用によるひと時の夢でしかないのだが。自己ではなく「もの」が思う。現実を愛する清明な君子はゆえに思想よりも詩歌を重んじる。神に酒肴を捧げるように。