和文と駢儷体

 和漢融合文は、和文脈のなかに漢語ないし漢文的な言いかたを採りこむだけで成り立つわけではなく、そこには文体としての「雅」を感じさせるほどの洗煉が無くてはならない。そういう洗煉が生まれた背景として、採りこまれた漢文的な表現がすでに高度の洗煉を経たものであったという事実も、少なからず注目を要するであろう。『方丈記』の文章は、対句を多く用いた美文であるが、それは、漢文の世界における駢儷体と質を同じくするものであった。
 駢儷体は、詳しくは四六駢儷体で、この文体で書かれたものを駢文(べんぶん)と呼び、駢文でない文章を散文という。駢儷とは、対句を多用することであるが、それらの対句は四字句と六字句とを主とするので、この文体を四六文とよぶこともある。四字句と六字句の配合だけでは単調になるので、間にさまざまな字数の句をあしらい、それによって主要な四字句・六字句をひきたてる。これらの句は、長句・漫句・緊句・傍字・壮字・重隔句・軽隔句・雑隔句など、さまざまな名称によって分類されており、当時の文人たちは駢文の作法をこういった句種の分類によって習得した。…

小西甚一『中世の文藝 「道」という理念』 第二章 中世の形成 
 三 俗の参加する世界 2和漢融合文の展開【「記」と古典性志向】和文と駢儷体より