徒然草 序段 島内裕子訳

 徒然なるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく、書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

 さしあたってしなければならないこともないという徒然(つれづれ)な状態が、このところずっと続いている。こんな時に一番よいのは、心に浮かんでは消え、消えては浮かぶ想念を書き留めてみることであって、そうしてみて初めて、みずからの心の奥に蟠(わだかま)っていた思いが、浮上してくる。まるで一つ一つの言葉の尻尾に小さな釣針(つりばり)が付いているようで、次々と言葉が連なって出てくる。それは、和歌という三十一文字からなる明確な輪郭を持つ形ではなく、どこまでも連なり、揺らめくもの……。そのことが我ながら不思議で、思わぬ感興ににおのずと筆も進んでゆく。自由に想念を遊泳させながら、それらに言葉という衣装を纏(まと)わせてこそ、自分の心の実体と向き合うことが可能となるのではなかろうか。