歌仙

 ここ二年ばかり、私は、丸谷才一大岡信と、それに川口澄子という女の詩人を連衆として、歌仙の真似事をやっている。三人とも連句はもちろん俳句などにはまったくの素人だが、とかく狭くなりがちの表現を拡げ、ことばを養う上で、他人の解釈を知り、ことばのイメージというものがどこまで延びてゆくものか、確かめることは物書きにとって必要なことで、これは酒をくんでたわいもないことを喋り合う以上のものだ。趣味というのでもない。目下のところ、かれらに手ほどをきした師匠の私より弟子たちの方がむしろ熱心で、会すれば大抵徹夜になる。「夏山」の句に丸谷が無意識に施した改変も、そういうことと無関係ではありえない。丸谷は電話で、おれもその分だけ進歩したと思えばよいのかと言い、私もそうだと答えた。こういう付き合いは、心の拠りどころをとかく失いがちの現代では、何よりもうれしい。

安東次男「物の見えたる」(人文書院・初版昭和四十七年三月発行)より