国高時代の前に

目が覚めると昼を過ぎていた。風邪をひいた後のあの治るときの元気が出たという感覚。ずいぶん久しぶりだが、若いころには確かによくあった。中学受験に失敗して高熱を発したあと友人が見舞いに来てくれた。母親から言われたのだとは思うが嬉しくてそれから何度も思い出す。いじめにあった地元に通うはショックだったが、どうして後半生にとって重要な出来事がたくさんあったのだ。華やかな国高時代の陰に隠れて東村山の三中時代は地味だけれども。

まずは「交換日記」。初恋の女の子と1冊のノートをやりとりするのだが、いま思えばまさに「連歌」である。相手の反応を全力を挙げて解読しようというわけだから。生徒会の先輩は大人びて見えた。彼女はその生徒会長とつきあって自分は失恋を味合うのだが、後半生の恋愛沙汰を思うにそれは実にのどかである。自分が副会長をしたときの会長は文化祭でエレキギターを認めさせようと動いた熱血漢だった。

別の友人が実家が工務店かなんかで、遊びに行くとお兄さんのディープパープルのレコードなどを聴かせてくれた。ただ、自分が選んだのは「フォークギター」で、かぐや姫やイルカなどを好んで聴いた。ギターが長続きしないのは、その後の沖縄の三線ともおなじ。むしろ久米川の本屋さんや東村山中央図書館で、本を探すという病みつきになるほどの喜びを学んでしまった。

その中でミステリーよりも何故かずっと広く心を占領したのが「SF」で、高校ではSFサークルを仲間とつくってしまうわけだから特別な出会いがあるのかといえば、そうではなさそうだ。深夜放送好きの床屋の息子とは、修学旅行の経験などが刺激になって、分厚いガイドブックを買って京都に旅行に出かけた。やはり土地を読むという趣味の方が強かったのではないか。

「陸上部」にも所属していた。親父もそうだったが集団でやるスポーツは好みじゃなかった。身の丈志向なのだ。社会人になって、ネットバブルの頃に仲間とデジタルコンテンツ事業協同組合をつくり申請で関東通産局に行ったら、向こう側の担当官の一人に部活のメンバーがいた。ほかにも思い浮かぶあいつにこいつ。まてよ彼らはギター仲間でもあるな。クラスが一緒だったのか。