2011年3月11日午後2時46分

最初の強い揺れを感じたのは所沢市役所で戸籍届を出そうと受付カードを引いた時だった。おとといの昼と同じゆっくりと大きな揺れだった。備え付けの大型テレビから10メートルを超える大津波の警報を伝えるアナウンサーの声が聞こえた。担当の男性は確かな人で法務局に問い合わせますというが電話は通じなかった。自分のケータイも通じなかった。航空公園駅につくと電車は止まっていた。自宅まで歩くことに決めて商工会議所方面へ。小手指駅を目指したが道に迷って東川づたいに六所神社前を通り大六天のノジマから小手指小学校まで歩く。何度か余震あり。途中で母から無事との留守電が入っていたので掛けてみたがやはり不通。ネットは通じているらしい。石原都知事が4選を目指し出馬とのニュース。国家破綻の時に東京が混乱していたら大変なことだということだが、実際そのあと1時間もしないうちに危機が到来した。窮地に陥っていた菅首相は、悪い予感が当たって退陣もせずおそらく総選挙もないだろう。政治休戦で自公党首から予算は至急協力するとの話になる。40分ほどして近所のヤオコー。買い物をして帰宅。本が散乱しているだけで大きな被害はなく、神棚に備えた水を3柱の御札が吸い取って畳にはこぼれていなかった。光電話も通話不能。パソコンからメールで母に無事を伝える。父は夜、飯田橋から50分歩いて帰り、妹は大森のマックで夜を明かすと公衆電話から連絡があったというので安心。誕生日なのでひとり赤ワインを飲み牛肉を食べる。NHKと日経のサイトから情報を収集する。