こてさし原にすむ神の

買い物がてら北野天神社まで散歩。境内入口の掲示板の歌が気になる。「後たれて こてさし原にすむ神の あらむかぎりは 国もうごかじ」 垂迹思想からくるのだろうが天神は常にカミから降りてきてのちの世まで続くのだろう。延喜式では物部天神社と國渭地祇社という天と地のカミなのだけど北野神を天満天と受け入れてやはり天から降り、この国をゆるぎなく支えているものとみる。それにしてもたくさんのカミが住んでいるようだ。文子天神社は京都北野で菅原道真の降臨を予言した巫女的な存在で関東の天神社で正しくこの女神を祀るところはないのではないか。源頼朝延喜式の3千余りの神々を祀った諸神宮は、小さな社が室町時代の再建と説明されている。八雲や稲荷それに水天宮まで社がある。小手指神社には航空神社跡との案内板もあり日清・日露そして太平洋戦争の戦没者を祀っているらしい。古来の戦場である小手指原にふさわしい。宗良親王も合祀されているというのは、単に戦地であるだけではなく歌によって知られる南朝の偉人を顕彰する意味もあるだろう。忠魂碑と顕忠碑が並び立つ。東郷平八郎の書とある。他に日本武尊の尊桜や前田利家の大納言梅。東久邇宮の植樹も。戦乱と災害の多き国ゆえ。