【菅首相会見】 (2)「辞職後も原発に依存しない社会の実現に努力する」(26日夕)

「また、さまざまな特命チームを設置して、これまで見落とされてきた課題、例えば硫黄島からの遺骨帰還や、難病、ウイルス対策、自殺、孤立防止などにも取り組んでまいりました。そして、3月11日の大震災と原発事故を経験し、私は、最小不幸社会の実現という考え方を一層強くいたしました。世界でも有数の地震列島にある日本に、多数の原発が存在し、いったん事故を引き起こすと、国家、国民の行く末までも危うくするというのが今回の経験です」

 「首相として、力不足、準備不足を痛感したのも、福島での原発事故を未然に防ぐことができず、多くの被災者を出してしまったことです。国民の皆さん、特に小さいお子さんを持つ方々からの、強く心配する声が私にも届いております。最後の1日まで、この問題に力を注いでまいります。思い起こせば、震災発生からの1週間、官邸に泊まりこんで、事態の収拾にあたっている間、複数の原子炉が損傷し、次々と水素爆発を引き起こしました。原発被害の拡大をどうやって抑えるか、本当に背筋の寒くなるような毎日でありました。原発事故は、今回のようにいったん拡大すると、広範囲の避難と長期間の影響が避けられません。国家の存亡のリスクをどう考えるべきか。そこで私が出した結論は、原発に依存しない社会を目指す、これが私の出した結論であります。原発事故の背景には、『原子力ムラ』という言葉に象徴される、原子力の規制や審査のあり方、そして行政や産業のあり方、さらには文化の問題まで横たわっていることにあらためて気づかされました。そこで事故を無事に収束させるだけではなく、原子力行政やエネルギー政策のあり方を徹底的に見直し、改革に取り組んでまいりました。原子力の安全性やコスト、核燃料サイクルに至るまで、聖域なく国民的な議論をスタートさせているところであります」

「首相を辞職した後も大震災、原発事故発生の時に、首相を務めていた一人の政治家の責任として、被災者の皆さんの話に耳を傾け、放射能汚染対策、原子力行政の抜本改革、そして原発に依存しない社会の実現に、最大の努力を続けてまいりたい、こう考えております。大震災と原発事故という未曾有の苦難に耐え、日本国民は一丸となって、これを乗り越えようといたしております。震災発生直後から、身の危険を顧みず、救援救出、事故対応にあたる警察、消防、海上保安庁自衛隊、現場の作業員の皆様の活動を見て、私は心からこの方々を誇りに思いました」

(3)に続く