桑原武夫42歳

…もっともいかなる時世にも人は慰みをもつことを許される。老人が余暇に菊作りや盆栽に専念し、ときに品評会のごときを催し、また菊の雑誌を一、二種(三十種は多すぎる)出すのを、誰も咎めようとは思うまい。現代的意義というようなものを求めさえしなければ、菊作りにはそれとしての苦心も楽しさもある。それを誰も否定はしない。
  句を玉とあたゝめてをる炬燵哉   虚 子
 しかし、菊作りを芸術ということは躊躇される。「芸」というがよい。しいて芸術の名を要求するならば、私は現代俳句を「第二芸術」と呼んで、他と区別するがよいと思う。第二芸術たる限り、もはや何のむつかしい理屈もいらぬわけである。俳句はかつての第一芸術であった芭蕉にかえれなどといわずに、むしろ率直にその慰戯性を自覚し、宗因にこそかえるべきである。それが現状にも即した正直な道であろう――― 「古風当風中昔、上手は上手下手は下手、いづれを是と弁(わきま)へず、好いた事して遊ぶにはしかじ、夢幻の戯言(ざれこと)也」。
(『世界』1946年11月号 「第二芸術 現代俳句について」より)