連歌的想像力

 新古今歌人たちは、虚構の主体に自己を転位させる役者的想像力により、本歌取りを通して、古典の変形作業を続け、古典変奏のシークエンスそのものを楽しんだ。しかし、その楽しみがよりダイナミックな形で味わえる場が開かれたならば、彼らはそちらの方へ動いていくでしょう。連歌会こそは、まさに新古今的方法、新古今的和歌の楽しみ方の集団的増幅装置なのです。虚構を生きる役者的身体は、連歌の場においてこそ、水を得た魚のように、より自由に泳ぎまわることができたのです。
 中世のはじめ頃に、そういう転換が起こります。『新古今和歌集』ができたのが1200年前後で、その前後に集団的な連歌の世界が新古今歌壇の連中を中心に開かれてくる。これはもちろん天皇を中心とした上層貴族の人たちの世界ですが、ただ連歌はその50年後ぐらいには、かなり下の階層の人たちも熱狂的に参加している様子がうかがえます。
 それが花の下連歌です。大体13世紀の中頃、1240年代ぐらいの段階で一般大衆が参加する言語ゲームの場が、法勝寺や毘沙門堂といったお寺の枝垂れ桜の下に開かれたわけです。先に、猿楽が国家権力に巻き込まれていく場として法勝寺は重要だといいましたが、花の下連歌でも法勝寺は重要です。花の下連歌は1240頃から百年ぐらい盛んに行われる。一種の花見です。現在でもわれわれは桜が咲くと、その下で熱狂的に酒を飲んだり歌をうたったりしますが、昔の人はもう少し行儀がよくて、ここで連歌をしていた。ただし、この連歌の場も熱狂してくると喧嘩が起こったりしてひどいことになるのですが、熱狂すればするほど神様が喜ぶ、熱狂すればするほど意に満たずして死んでいった怨霊たちの心が慰められるというような信仰が背景にはあります。ですから花見を静かにやるのはかえってよくないことなのです。
 花の下連歌の場合は言語の熱狂によって、花の下連歌会という、言葉が言葉を紡ぎだしていく一種の演劇的な世界、その言語の熱気によって悪い魂を鎮めたりするのです。

松岡心平「中世芸能を読む」(2002年2月1刷 岩波セミナーブックス83 1997年5月から6月の四回の講義)のうち「3 連歌的想像力」から