禅の契機

 要するに、連歌で繰りひろげられる世界そのものが、禅の道に入っている人が理想とする人生の生き方に近いところがある。連歌の面白さが瞬間、瞬間に世界をつくりあげて、また壊していく、そういう転変とスピード感覚にあるとすると、それが禅のもつ瞬間悟入的な態度や鋭いスピード感覚に共通するところがある。ですから連歌の流行を禅が後押しするようなところも、じつはあったのではないかという気がします。
 実際問題として、鎌倉武士の間で連歌は非常に流行します。前に『二条河原落書』を読みましたが、それは「京鎌倉をこきまぜて、一座そろはぬ似非連歌」とあって、連歌は京都だけで流行っているわけではない。鎌倉も含めて流行っていて、むしろ鎌倉のほうがある部分盛んになっている面もある。花の下連歌は京都だけの行事で、花の下連歌が当時の連歌のスタイルの最先端をいっているわけでして、地方にいる人は、今年は花の下連歌でどういう新しいスタイルがでてきたのかが知りたい。地方の人は京都から花の下連歌師が下ってくると、今年の最新流行は何ですか、みたいなことをきいたりします。ですから一応連歌の中心は京都ですが、「京鎌倉をこきまぜて」というくらいですから、鎌倉も一大中心地であったということです。
 それから、「関東にも代々管領ことに好まれし」と『筑波問答』で二条良基がいっていますが、管領つまり執権なども非常に好んでいた。
 また、『太平記』巻七では、関東の武士たちが、楠木正成の城を兵糧攻めにしたときに徒然にたえかねて、京都から花の下連歌師を呼んできて、一万句の連歌を始めてます。戦勝祈願という面もあるでしょうけれど、やはり暇つぶしの連歌会でしょう。いくら暇だからといっても一万句の連歌をやる武士たちの教養はすごいものではないかという気がします。一万句の連歌ですから、大がかりな連歌です。

松岡心平「中世芸能を読む」(2002年2月1刷 岩波セミナーブックス83 1997年5月から6月の四回の講義)のうち「4 禅の契機」から