狩野先生の学問

 そして尚書を勉強していった。しかし時間がなかったりして予習、つまり先を読んでない。それでも大体の意味を知っとかなきゃいかんと思うからね。『国訳漢文大成』という本がある。その中に宇野哲人さんが書いた尚書がある。宇野さんも大学者だとこっちは思ってるからね、それを読んでって私はこの意味はこう考えますと言うとね、先生はまたニッコリ笑って、あなたは宇野の書いた『国訳漢文大成』をご覧になりましたね、ありゃだめです、あれは文字を知らん人が書いたものですと。(笑い)
 ――ほう、ものすごい。
 いやねえ、文字を知らんていったって、いずれも相当な学者が書いたものでしょう。
 だけどね、狩野先生の学問というのは一つの文字を読んで、その表の意味、裏の意味、字がでてきた意味まで全部わかっとられた。一つの文字をみると、それからそれへと連想が浮んできて、この文字はこういう時、こういう場合に使うんだ、この場合にはこの意味に使わずに、こっちの意味で使ってるんだということが狩野先生にはわかっていた。だから一つの文章を訳するのでも、狩野先生の訳とほかの人の訳を比較すると比べものにならない、実に正確に表現されている。ともかく中国のものを上から下まで全部読んでいる、小説から歴史から全部ね。そして、自分はほかのものは全然読んでないという顔をしている。そのくせ全部知っている。こんな人はいないですね。

細川護貞座談 文と美と政治と』(昭和59年8月13日 聞き手 光岡明)より