昭和二十年四月十六日

 …余は最近此の瀬戸氏及び松野鶴平氏及び松下幸之助、常田氏と時折会見し、つくづく感じたることあり。即ち学問あるもの利口ならず。盤根錯節を経て、人情の機微と豊かなる常識を体得したる人は必ず成功す。学問を為すものは往々書籍の虫と化して、この人情に疎く、為にせつかくの学問は死せる活字となりて、活社会の用を弁ぜず、却つて眼に一丁字なき者に侮らるゝに到るなり。是学者のよくよく心すべき事なり。然れども又天下は廻り持ちとも云ひて、此の一代にして産をなせる人々の子孫は、往々のらくらの馬鹿息子となりて、粒々苦心の資産を一朝に蕩尽するものあり。彼等はその祖先の立身を援けたる貧困と労苦と不人情の恩義を忘れて、黄金の魔術と地位の毒薬に身をゆだねたればなり。然らば貧困と労苦とは、独立不羈の才人を成長せしむる肥料なり。金と地位とはのらくら息子を害する毒薬なり。又思ふ、世界の歴史を繙くに、太平は短くして戦乱は永し。蓋し一代をリードするの才人の現るれば、先づ四五十年の太平あり。此の才人死して、その方式が固定するや、その精神は凝結して、直に腐敗は起り、再び乱世とはなるなり。昔、創業と守成と何れが難きかを論じたるものあり。要するに創業は勢ひに乗ずると否とにあり。之ひとへに運にありと雖も、又その人の苦心の存する処。守成は創業の精神を形式化せず、固定せず、新陳代謝して、生々溌溂たらしむるに在り。起るも人、守るも人なり。之を達観すれば運命と云ひつべし。修身の教科書は努力なり、と断言せん。呵ゝ。


 細川護貞「細川日記(下)」(中公文庫)この時、33歳。