中山や越路も月ハまた命

   越の中山
  中山や越路(こしぢ)も月ハまた命  (芭蕉翁月一夜十五句)

 越の中山は木目(きのめ)峠のことで、今の木の芽峠のあたりにあたる。「命」というのは唐突な感があるが、西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」を心に置いて、東海道の小夜の中山を越えるとき西行は「命なりけり」と詠んだが、自分もこの越路で月を仰ぐことができたのは命あったおかげであるというのであろう。この月は観念的に使われていて、深い味わいに乏しいというほかはない。

加藤楸邨芭蕉の山河 おくのほそ道私記」より