幸田露伴の伝記文学

 …この態度は一方塚原渋柿園などの歴史小説のように、大衆の興味を惹くために架空の作為を試みることを排斥すると共に、一方芥川龍之介のいくつかの短編のように、過去の人物の心理に近代的解釈を加えることを否定する。殊に後者は作者自身の特殊な主観を、器用に投影することになりがちであるから、露伴は古人の真実を尊重する上から、極力これを避け、常に素材に忠実であることに力めたのである。
 しかし露伴はアカデミックな史学の徒に往々あるような、あらゆる史料を網羅するというようなことは企てなかった。露伴の精力を以てすればそういうことも勿論可能であったろうが、露伴はその必要を認めなかった。露伴は根本的な重要な史料に依拠して、これによって真実を明らめようとした。断簡零墨の中に含まれている珍奇な珠玉を求めることも軽んじなかったが、それよりは通行の典籍を味読することによって、多くの金銀を精錬することを優れりとした。「日本武尊」の中で「後世の者は(中略)残膏余肉を渉猟り廻って種々のものを咬みちらし嘗めちらし居るが、古人は良い本を熟く読んでじっとり味わっている」と言っているのは、そのまま露伴自身に当嵌めることができる。これはひとり歴史や伝記に限らず広く露伴の学問全体を通ずる特色であって、最も畏敬すべき点である。

植村清二『歴史と文芸の間』(中公文庫・初稿「文学」昭和二十三年二月)より