女の救はれ

…さうではなくて、実は、もちろん彼の意識はそこまで明確にさかのぼることはできなかつたけれど、茫漠たる時間の彼方にあつて女系で相続されてゆく王国の王となつて女たちに奉仕したいといふ願望だつたのである。この欲求は、悠久の昔の地母神礼賛と個人的体験としての母への思慕との双方に支へられ、さらに西方の宮廷愛とも呼応しながら、しかし、谷崎の胸の奥で正体不明のままうごめいてゐたのでせう。
 願ひはかなへられました。実生活でも、そして作品のなかでも。
 東京生れの何やら職業不明の男、貞之助が芦屋に来て、妻、妻の娘、妻の妹たちに贅沢三昧の暮しをさせ、義理の妹に良縁を得させようとして苦労する。彼は毎日書斎にこもつて営々として働く。その一部始終は、タカマノハラを追はれた放浪の王子スサノヲが、イヅモの女王クシナダヒメと結ばれ、彼女の女系家族のために盡して、鹿を狩り猪を狩りするといふ古代説話に見立てることができる。
 こんなふうに考へて来たあげく、わたしは日本文化の不思議さに驚くのですね。女人往生が今も生きてゐるのはともかく、女系家族制へのあこがれがまだ残つてゐて、それが鮮明に現れ、その小説が現代文学の代表作になるなんて。このことが示すものは、単に女たちだけではなく、男たちも(谷崎は男たちの例外ではなく、むしろ代表だと考へて)、女系家族といふ往昔の制度になにがしかの魅力を感じてゐるといふことだ。ずいぶんロマンチックな、夢みがちな男たち、女たち。

丸谷才一「恋と女の日本文学」(講談社・初出「群像」1996年2月号)より