もののあはれ・諸行無常

あはれは、かなしいとか、はかないとか、主観とも客観ともつかない形容詞で、もともとは、「ああ、われ」という、いまここにおのれがあることを気づく、反省的な契機を示す語感をもつので、それが物象化的なまとまりの「もの」を頭に付けて、何となくということであるが、連続している現実が急に切断されたことも同時に指している。つまり仏教的にロジカルに定義した、すべてのことは常ならず変化を続けるという「無常」とおなじなのかもしれない。だからまた「無情」という、つれない、人情のない、否定的な感情を示す語句と頭の中で混同しがちなのかもしれない。

複雑な問題がここにはありそうだ。