能勢朝次49歳

「かように考えると、言葉そのものに関して十分の修養を積んだ者でなくては、連句は容易に創作も鑑賞もでき難いものであることがわかってくる。言葉の修養は同時にまた、詩心の修養でもある。詩心を言葉に託して表現し、言葉を通して詩心を感じる修養である。そうした修養は、結局われわれの潜在意識の中に、多くの詩的な心像の連絡道路を連ねることである。その連絡道路をさらに国道化し県道化して、通い馴れた通路たらしめることである。」(昭和18年 『連句芸術の性格』 「連句研究の現代的意義」より)