小西甚一55歳

「わたくしが高等師範在学のころから文理科大学の二年あたりにかけて、先生は訓詁と考証でわれわれを厳しく錬えられた。本文を正確に解釈し、事実を厳密に考証する作業だけがわれわれ学生に対する訓練であって、哲学的な談理は大禁物であった。わたくしがはじめフッサールハイデッガーに凝っていたら、たいへんなお叱りを頂戴した。…いま思うに、先生は、若いころ芭蕉を西田哲学の眼で分析したのが、結果として観念論に終わったことへの痛切な反省から、純粋な訓詁や考証に転じられたのであったらしい。」(昭和45年 『連句芸術の性格』 「解説」より)