観世寿夫の世阿弥論から

…この若い演者の場合は、稽古の方法を間違えたばかりに、能の役者として最も重要な要素が欠落してしまったので、それは世阿弥の言い方をすれば、幽玄な芸風をうちたてることに失敗してしまったということになろう。
 世阿弥が理想とした能とは、一言でいってしまえば、劇的なものと音楽的なものと舞踊的なものを一つに融合した舞台であった。それは「井筒」や「野宮」など、おおかたは美しい女性をシテとした夢幻能によって代表される。そしてこうした秀れた夢幻能の完成および、それを演じるための演技法の確立こそが、能をして五百年以上も生き続けさせたといっても過言ではない。夢幻能のような構成の中では、演者はただその作品中の人物に扮すればよいということにならない。ある面においては演者と役が対立し、またある時は役を演者自身の側へ引きつけることによって、その作品をより大きく広げる結果をもたらさなければならない。二曲三体という稽古論は、こうした役づくりのために世阿弥が生み出したものである。…

「鑑賞 日本古典文学 第24巻 中世評論集 歌論・連歌論・能楽論」より ☆読書ノート「幽玄な美と芸」から